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川の流れを見つめて考えたアポリネールと鴨長明と秋元康
セーヌ川は、パリを二分する形で中心を横切る。
市内を歩いていると、セーヌ川を横断する機会が多い。
セーヌ川を見ると思い出すのは、ギョーム・アポリネールの「ミラボー橋」の一節である。当時 恋人だった画家マリー・ローランサンとの恋とその終焉を詠ったものだ。
Passent les jours et passent les semaines
Ni temps passé
Ni les amours reviennet
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
日が過ぎ 週が過ぎる
過ぎた時も 恋も もう戻らない
ミラボー橋の下を セーヌは流れる
(Guillaume Apollinaire『Le Pont Mirabeau』詩集Alcools,1913)
(訳 杉山利恵子)
「ミラボー橋」を思い出すとき、自動的に連想してしまうのが、日本三大随筆のひとつ、鴨長明「方丈記」の冒頭部分である。
行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて
久しくとどまる事なし
アポリネールの「ミラボー橋」は、恋愛の終わりをテーマにした詩。仏教的観念をベースにした「方丈記」とは、そもそも傾向が異なるものだけれど、二人の見解には通じるものがあると思う。
そして、ここまでくると、秋元康氏作詞の「川の流れのように」が頭に浮かんで来るのも必然である。
美空ひばりのあの声で、サビの部分が脳内に流れる。
ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ
こうして並べてみると、古今東西、人が川を眺めて感じることに、大きな違いはないように感じる。
Les jours s'en vont je demeure.
月日は流れ わたしは残る
(Apollinaire)
橋ものがたり (ミラボー橋)http://bateaux-mouches-japon.com/topics/topics26.html
<他の橋写真>
シャンジュ橋(両替橋)
昔、両替商がたくさんいた橋。
向こうに見える三角屋根のお城は、
「コンシェルジュリー」牢獄だった場所。
芸術橋(ポン・デ・ザール)
歩行者専用の橋。鉄のアーチが美しい。
ノートルダム橋
シテ島を行き来する橋はいくつもある。パリを旅行した人は、知らず知らず、
この橋も渡っているかもしれない。
ちなみに、秋元さんが見ていたのは、ニューヨークのイーストリバー、
鴨長明さんが見ていたのは、京都の鴨川のようです。
*どちらも、作中に川を特定する名称は出てきません。
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