メデュース号の筏

テオドール・ジェリコー「メデューズ号の筏」Le Radeau de la Méduse

「メデューズ号の筏」( Le Radeau de la Méduse)1818年〜1819年
テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)作 油彩 491 cm × 716 cm

1816年、セネガル沖で実際に起こった海難事故を描いた作品です。
作品の制作は1818~1819年。
この時代、絵画に描かれる題材は、歴史や聖書・神話の物語が主流でした。
しかし、作者ジェリコーは、同時代に起こった社会的事件を、歴史画のような壮大さを持って描きました。

「メデューズ号の筏」はその後のロマン主義絵画を牽引し、ジェリコーの名を不動のものにする作品として残ることになります。

メデューズ号とは?

「メデューズ号」は、フランス海軍の軍艦です。
船長は政治的な配慮によって任命された人物でした。船長の経験不足が一因となって、船は座礁してしまいます。乗客・乗員約400名のうち、救命艇に乗れたのは250名ほどで、残りの約150名は、急きょ作った筏に乗り込みました。

急場しのぎの筏での漂流は13日に渡りました。生き残ったのはわずかに15名。嵐、飢餓、発狂、自殺などによって、次々に乗員が減っていきました。生存者が死者の肉を食べる過酷な状況でした。

この絵の場面は?

筏の乗組員が、はるか彼方に航行する船を発見した瞬間です。
実際にこの船が、このあと筏の生存者たちを救います。

極限の状況下で突如現れた生への望み。
その望みを必死に掴みとろうとする熱狂に満ちた場面を、ジェリコーは描きました。

画面の右手奥、水平線上にとても小さく船が描かれています。
拡大しても、写真ではよく分かりませんね。ルーヴルで本物を鑑賞する機会に恵まれた方は探してみてください。すごく小さいのですが、確かに描かれています。

「メデューズ号の筏」制作にあたって

メデューズ号座礁事件が明るみに出ると、ジェリコーは事件の詳細を調べ上げ、生存者に実際に会って取材しました。フランス北西部の港町に出かけて、何度も海岸に出ては海や空をスケッチしました。

また、パリ市内の病院や死体安置所をめぐり、死んだ人や瀕死の人のデッサンも繰り返しました。アトリエには実際に筏の模型を組み立て、モデルを配置して下絵を描きました。

ジェリコーと同時代のロマン派の画家・ドラクロワが、モデルを務めたという逸話は有名です。ドラクロワがポーズをとったのは、手前の方で、顔を伏せて片手を伸ばしている男性(白い矢印)です。

こうして、まるでその場に居合わせたかのような臨場感あふれる作品ができあがっていきました。

どうように描いたか(絵の構図と人物表現)

テーマの選択においては、当時実際に起こった事件を扱ったという点で斬新な印象を世に与えた作品です。
一方、構図や人物表現においては、西洋の絵画に受け継がれてきた特徴を備えつつ、それを進化させています。

<< 構図 >>

構図は、ピラミッド型と呼ばれるものがベースになっています。ピラミッド構図は、西洋の絵画では伝統的によく使われてきました。描きたいものを三角形に配置することで、動きや変化を出すと同時に、安定感も得られます。

「メデューズ号の筏」の構図は、ルネサンス期の絵画に見られるような、二等辺三角形型ではなく、不等辺三角形を2つ組み合わせるという複合型です。

ルーヴルのイタリア・ルネサンスのコーナーに巨匠「ラファエロ」の作品で、典型的な二等辺三角形の構図のものがあります。「聖母子と洗礼者ヨハネ」です。抜群の安定感で、落ち着きのある構図です。(写真右)

ラファエロ作品の安定感と比較すると分かりやすいと思うのですが、「メデューズ号の筏」では、「動き」、特に左右に揺さぶられるような効果がよく出ていることが分かります。

作品が最終的にこの構図になるまでに、ジェリコーは何枚もの下絵を描きました。揺れる波と筏、遠くの船に向かって叫ぶ人々、それらが上手く呼応する構図を、ジェリコーは丹念に探りました。

筏の上の人物を横並びに描かれた下絵も残っていますが、完成作のように頂点を作って人物を配置することで、格段に躍動感のある画面になりました。観る人の視線を、下から上へ、そして上から下へ、さらに手前から奥へと自然と誘導するような構図になりました。

<< 人物表現 >>

既に死んだ人も瀕死の人も皆、均整のとれた筋肉質の身体をしています。薄い衣をまとったしなやかな姿は、どこか気品があり、ギリシャ神話の登場人物さえ思い起こさせます。

このような構図や人物表現によって、壮大で劇的な歴史画のような重厚感が醸し出されています。

サロンでの評価

ジェリコーは、この作品を「サロン」と呼ばれるフランス政府主催の展覧会に出品するために描きました。
サロンに出品すると、恐ろしい場面を激しいタッチで描いた作品は人々の強い関心を引きましたが、同時に批判の対象にもなりました。

サロンで好まれるのは、古代から続く理想的な美を表現したものでした。サロンは、政府が管轄するものなので、保守的な傾向にありました。歴史や聖書や神話を主題とするのが主流で、なめらかで繊細な筆使いで描かれたものが高く評価されました。

これまで絵画のテーマになってきた理想的な美ではなく、死、飢餓、恐怖、不安、狂気、など、ネガティブな要素も徹底的に描かれた作品に、人々は戸惑いました。そのうえ「メデューズ号座礁事件」は、海軍、つまり政府の威信にかかわる事件でしたので、保守的な批評家たちが高く評価するはずはありませんでした。

しかし、のちにイギリスでの展覧会で大成功をおさめ、その後フランス政府が作品を買い上げることになります。

<< 参 考 >>

ジェリコーにとっての「メデューズ号の筏」

パリ20区にある、ペール・ラシェーズ墓地にジェリコーは眠っています。日本のお墓とはだいぶ雰囲気が違っていて、故人の生前を偲ばせる演出が施されたお墓が多く見られます。

ジェリコーのお墓には、この作品「メデューズ号の筏」のレリーフが飾られています。32歳で亡くなったジェリコーが遺した作品はそう多くはありません。
ジェリコー自身も、この作品を非常に大切にしてことが伺えます。

「メデューズ号の筏」鑑賞のポイント

世界史の教科書や美術の図鑑などでこの絵の写真を見たことがある人も多いと思います。

491cm×716cmという大画面に、人物はほぼ実物大の大きさで描かれています。

全体的に暗く沈んだ色調の画面の中で、希望と絶望が同時に描かれています。死にゆく人と、生き延びようとする人の描写を比較するのも興味深いでしょう。
荒れ狂う波の描写にも注目してください。

ルーヴル美術館のドゥノン翼2階・19世紀フランス絵画の展示室には、他にも同じくらいのサイズの作品が並んでいます。特にこのエリアは、世界的に有名な作品が多く、いつも賑わっています。

ルーヴル美術館に行ったら、ぜひ自分の目で鑑賞して欲しい絵画のひとつです。

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